ピアノ発表会
やっと終わりました、ピアノ発表会。
思えばここ数週間、私の生活と懸念はこれに占められていたと言ったら過言かな。
その悪戦苦闘ぶりは、前回にも書いた通り。
発表会のプレッシャーで、すっかり練習嫌いになっている我が子。その横で、ああでもない、こうでもないと無駄な説教をする私。そして子供が学校に行ってしまった後、暇さえあればドレス作りでカタカタとミシンを踏む日常。
私の、物を作る喜びは最初の数日で尽きてしまい、次第に義務感だけが募ってきて、「何とか間に合わせよう」との一心で、当日の朝まで縫っていた。
一方、肝心の本人のピアノの出来栄えはと言うと、本番一週間前に、奇跡的にミスタッチもなく仕上がって、本人もほっとし、そこからまた急降下で落ちて行ったというありさま。
でも私は、前回にも書いた怒涛の日々を抜け出そうと、夫が地方公演から帰って来たのを境に、全部彼に委託して、自分は衣裳係に徹してしまったのだ。
つまり、監督役から「逃げた」のであるけれど、そのことは夫が帰って来る数日前から、子供にも宣言してあって、だから子供も「お父さんが帰って来たら厳しい練習が待っている」という覚悟の元にやっていたような気がする。
夫の練習の最初の日は、もう娘もまな板の上の鯉だった。
お父さんはあまり細かいことを言わず、とにかく通しで何回も弾かせる。
一度弾いたら、「はい、もう一回。」二度目が終わっても、「はい、もう一回。」そんなにやったら飽きるだろうという回数になっても、しかも、自分はソファーに座ってテレビの野球に目を走らせながらなのに、子供の方は文句も言わず、黙って従う。
なんと、私の時と態度の違うことか!
文句が言いたくなるのを押さえて、「いやいや、お父さんの権威を高めるいいきっかけだったかも。」と思い直し、台所で黙って聞いている私だった。
4,5回も弾くと、さすがに演出家は「じゃあ、立って深呼吸しよう。」とか「目の前にお客さんがいると思って。」とか「自分が楽しんで弾こう。」とか「見ている人も楽しませる気持ちで弾こう。」とか言い出す。
そのことにどれだけ反応しているのか分からないが、娘も言われた通り、深呼吸したり、外の空気を吸ったりして、また黙々とピアノに向かう。まるで観念しきっている犬のようだ。
そうしているうちに完成していたのだ。
だけど、そこからが芝居と同じで、一度完成したように見えて、油断したり飽きたり慣れたりがたたって、うまく行かなくなる。悪い場合は、間違えたことによって自信を失くして、今までよかったところもめちゃくちゃになることだ。
発表会の当日は、出番が夕方だったので、朝から時間をあけて二度ピアノに向かった。
しかし、どちらもその一回目がひどい。2,3回もやれば、間違いも減ってきて、元通りになるのだが、会場に行ったら練習できないし、一回目に集中しなくてどうするかと思っていたら、時間も迫って来て、最後の最後の家での練習がまた一段とひどかった。ミスタッチ数え切れない、フレーズごと飛ばす…。
だから、彼女の出番になった時、それはそれは緊張した。本人は朝からハイテンションで、その上会場に行ってからドレスにも着替えて、ますます興奮していたが、親二人は当日の練習の出来から言って、最悪のことになりはしないかと手に汗をかいていた。
出番前に仲のいいお友達の演奏があって、娘はそれを聞いてから、控え室に向かうという段取りだったが、このお友達がまたえらく緊張していて、演奏途中で真っ白になってしまったようだった。
芝居で、そういう場面に出くわしたことがないわけではない。年配の俳優さんが、シェイクスピアの長い台詞で全く訳が分からなくなってしまったとき、その相手役だった私は一緒に冷や汗をかいて、何とかその場を取り繕うとしたことを思い出した。その俳優さんの顔がみるみる白くなっていくのを、役者特有のどこか冷静な頭で「心臓に負担がかからないかな」などと思っていたが、目の前の少女はよく知っている子であるだけに、また娘の出番もすぐ後に控えているだけに、とても他人事とは思えなくて、ものすごくつらかった。
何でも見ているだけの方がよほどつらい。幸い、彼女もある時点で自分を取り戻し、その後は、とても数ヶ月前に始めたとは思えない程、上手に弾いていてびっくりさせられたが。
果たして娘の出番が来て、得意のニヤニヤ笑いで客席を見るのかと思いきや、視線を落としたままおじぎ。「あれ、へんだな」と思ったら、ようやく顔を上げて、少し微笑んだかと思うと、すぐにピアノに向かった。
何度かスカートを直して、最初のキーを叩く。その間、私の心臓は鳴りっ放し。よし、本人の代わりにイメージトレーニングだ!と、いいイメージを思い描いて祈ろうとするけど、へたくそな演奏がどうしても頭をよぎる。
しかし、そんな私の心配をよそに、娘の指は予想以上にしっかりしていて力強かった。大きなしっかりした音で、リズムを刻みつつ、メロディーを重ねて行った。
気がつくと、演奏は終わっていた。ミスタッチが一回、でもそのほかはかなりまともだった。
前列に座っていた、別のお友達のおじいちゃまが突然振り返って、「素晴らしい出来でしたね。」とお世辞で誉めてくれた。
私たちも、思い切り拍手した。よかった。とにかく、なんとかやりおおせた。無事に終わったのだ!
渾身の出来栄えでなくても、それで充分。「まあまあな演奏」でも、私たちは安堵のため息をついたのだった。
客席に帰って来た娘は、もう大満足。「どうだった?上手だった?」の連発で、興奮しまくり。自分に甘いやつめ。
ほかの人の演奏も耳に入らないらしく、終わるまでずっとそわそわしていた。
帰る道中も、達成感の塊りと化した彼女は、「これで旅行連れて行ってくれる?」と甘えるわ、「なんでビデオ摂ってないの?!(あわててビデオ忘れたのね、私ったら。)」と言って人を責めるわ、この世の春だった。
真実はどうであれ、この「やりきった」感はきっと彼女を成長させるだろう。それだけで、この発表会は成功だ。
しかも、こういう時って、子供の頭も回るのか、お父さんに「おじぎしたときは緊張してたけど、弾く前に家とおんなじ。お父さんがソファーでテレビ見ながら、もう一回、もう一回と言ってるのと同じだと思ってやったの。そしたら緊張しなかった」とのたまったそうだ。もし、ほんとだとしたら凄い。でも、私たちには、お父さんを喜ばそうとして言ったとしか思えなかった。それでも、それが「お父さん、ありがとう」に聞こえて、私まで嬉しかった。
夜遅くなっても、私たちも娘の興奮に当てられてしばらく寝る気にならず、二人でビールでお祝いした。お互いの監督が何とか功を奏したこと、そして娘が、やらされたわけではなく、自分が頑張った証拠に成功を収めたと勘違い(?)して満足の眠りについたことで、久しぶりにとてもいいお酒だった。
そして私は携帯で撮ったドレス姿の写真を、「これ、私が作ったの!見て見て~」とピアノ仲間に送りつけ、「すごいね!」「よかったね!」の賛辞を無理やり奪い取り、自分へのごほうびにしたのだった。ありがとう、みんな~。
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